兮fter Limonium sinuatum - 5 -

ローエンの来訪からさらに数日が経過した。
その日は朝から天気が悪く、窓を閉めても外から雨音が聞こえてくるほどに灰色の空からは雨雫が降り続いている。
日中の今もなお薄暗いため、室内はランプの灯りで照らされている状況だ。

運良く診察でタリム医学校へ行かなければならないのは明日だ。
今日は洗濯もできないし、買い物も明日の診察が終わった帰りにすればいいだろう。
昼食を終えてから、ジュードは黙々と本を読んでいた。

 「なぁ、それそんな面白いの」

背中に感じる温もりの主が頭上で問いかけてくる。
今ジュードは、ソファに座っているアルヴィンの足の間に座り、彼に寄りかかっている状態だ。
膝の上に広げている本から視線を持ち上げ、寄りかかったままアルヴィンの顔を見上げる。

ジュードがすっかりと読みふけっていたせいか、アルヴィンは少し暇そうに眠たそうな目でこちらを見ていた。
その様子は、何だか親に構ってほしそうにしている子供のようにも見えて、ジュードは思わず笑ってしまう。

 「・・・・・・ジュードくん、なーに笑ってんのかね」

アルヴィンが少し不貞腐れたような顔をしているが、そんな姿すら何とも微笑ましく感じる。
そんなことをジュードが考えているのを見透かしてか、小さく息をついた後にアルヴィンの顔がふっと降りてきた。
条件反射で瞑った目蓋に少しかさついた温もりが触れる。

幸福感を感じる一方、ジュードは罪悪感に苛まれている自分の存在からどうにか目を背けようとしていた。
本当はアルヴィンに言わなければならないことを、ジュードは黙したまま心の内に仕舞いこんでいる。
それは昨晩に湯を浴びていた折、うっかりと足を滑らせて湯船の縁に手をかけた時に失われた声が短く零れたことだ。

 「今日は冷えるし、鍋にしようぜ」

ぎゅう、とジュードを抱え込むアルヴィンの腕に力が込められ、右肩のあたりに彼の顔が埋められる。
摺り寄せるようなその動作がくすぐったく、ジュードは持ち上げた右手でアルヴィンの髪に優しく触れた。



翌日、空は薄っすらと陰ってはいるものの雨はあがっていた。
朝食を済ませた後、ジュードはアルヴィンと2人でタリム医学校へと診察のため向い、
担当医が別のため、外来受付のエントランスで一旦別れる。

診察室の扉を叩き、中から応じる声が聞こえてきたところでジュードはノブに手をかけた。
見慣れた構造の診察室に、現在世話になっている医師の姿がある。
軽く会釈をすれば笑顔で席を勧められ、患者用の丸椅子に腰かけた。

 「さて、声のほうはどうですか」
 「・・・・・・ようやく出るようにはなりました」

いまだ掠れ気味の声ではあるものの、ジュードは苦笑気味に応じる。
ジュードの発する言葉を聞いて、医師はよかったよかった、と安堵の笑みを浮かべた。
もともと面識があったこともあって、この医師は親身になってジュードのことを心配していただけに、ほっとした様子だ。

 「まだ掠れているので、あまり無理をして話すと喉を痛めてしまうので、もう少し経過は見ましょう」
 「わかりました」

医師がカルテにペンを走らせる音を聞きながら、ジュードは内心ひっそりと溜め息をこぼす。
ひとまずは話せるとはいえこの声だ、喉を痛めないためにも、と自分に言い訳をして
もうしばらくの間は話さないようにしておこうと心の内で決めた。

 「ジュードさんなら大丈夫だとは思いますが、一応喉の痛み止めを処方しておきます」

医師が椅子から立ち上がり、棚から薬箱を取り出して机に置くと、再び椅子へと腰かける。
がさり、と音をたてて取り出された薬を処方用の小さな紙袋へと入れて、ジュードの方へと差し出された。
それを受け取りながら、ジュードは小さく礼を述べる。
その後は他に不調はないかなどの簡単な問診を行い、今日の診察は終わりとなった。

診察室の外には相変わらず患者が多く、がやがやとざわめく声が耳に入る。
そんな廊下を通り抜けて外来受付のエントランスへと来ると、先に診察を終えていたらしいアルヴィンの姿を視界に捉えた。
こちらに気づいたようで、待合席に座っていたアルヴィンが軽く手を挙げる。

 「そっちも終わったか」

アルヴィンの側まで歩み寄ったところで頷いて応じれば、座っていた彼が立ち上がった。
2人並んで受付へと向い、いつも通り次の診察日の話を始める。

 「アルヴィンさんは通院が今日で終わりですから、次回はジュード先生だけですね」

そう言って受付の女性が医師のスケジュールがまとめられた表をぱらぱらと捲り始めた。
さらりと発せられたその言葉に、ジュードは呆然とする。
アルヴィンの通院が今日の診察で終わりだという彼女の言葉に、ジュードは隣に立っているアルヴィンを見上げた。

 「今日ので完治宣言もらったんだよ」

いい知らせのはずだというのに、きっと自分は複雑そうな顔でもしてしまっているのだろう。
話すアルヴィンも苦笑気味の表情で、ジュードの頭をわしゃりと撫でた。
すうっとそのアルヴィンの手が頭が離れたところで、ジュードは小さく頷いて相槌を打ち、視線を受付の女性へと戻す。

 「4日後のお昼頃でどうでしょう」

首を縦に振って応じれば、その日時で予約を入れておきますと女性が笑顔で答えた。
そしてお大事に、という言葉に見送られながら、ジュードとアルヴィンはざわざわとしているエントランスから
タリム医学校の外へと向かって歩き始める。

外に出ると相変わらず空は灰色ではあったが、朝と同様に雨が降るまでにはなっていないようだ。
帰り道がてら買い物をして、家についたら洗濯物もしてしまおうか、などと考えている自分は
きっとこの生活が終盤に差し掛かっているという現実を無意識に遠ざけようとしているようにすら感じる。

 「昼飯、たまには外で食ってから帰るか?」

とすん、と肩から首筋にかけて慣れた重みが圧し掛かってきた。
落ちてきたのはアルヴィンの腕で、近づいた彼の顔がジュードの顔を覗きこんでくる。
やんわりとした笑みでジュードが頷けば、アルヴィンも小さく笑った。

 「とりあえず中央広場まで行きますかね」

中央広場の屋台で出来合いのものを買えば、ベンチで食べることもできそうだ。
思考が暗い方に向かいがちになっているのをどうにか押し留め、ジュードはアルヴィンとともに中央広場へと向かった。


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たぶん10話以内に収まる予定。