兮fter Limonium sinuatum - 8 -

両肩に置かれているアルヴィンの手がジュードの頬へと動き、両手で顔を包み込まれた。
ジュードの顔を覗き込んでいた彼の顔がすっと動き、少しかさついた感触が唇に触れる。
決して深いそれではなく、寧ろ浅く、優しく触れてそっと離れていった。

 「優等生のくせに、妙なとこ鈍いよなほんと」

それが優等生たる所以か、などと呟きながらアルヴィンが屈めていた上体を起こす。
様子を窺わんとジュードの視線も僅かながらに持ち上がったところで、
両頬に触れるアルヴィンの手が離れ、気づけば彼の腕の中にすっぽりと納まっていた。

ジュードが台所へ向かっている間にコートとスカーフは外していたようで、
インナーのシャツへと頬を寄せる格好となり、アルヴィンの体温がダイレクトに伝わってくる。

 「別に黙ってたことを責める気もない、そもそもそういうのを責められるような立場じゃない」

またそうやって自虐的なことを、と思いながらも、ジュードは口には出さずにおいた。
ジュードの背中に回されたアルヴィンの腕に強く抱きこまれ、自然とジュードの顔が上向く。
すかさずアルヴィンの唇がジュードの額に落ちてきた。

 「この生活を手放すのが嫌なのは、俺も同じ」

離れた唇が言葉を紡いだあと、こつりと額と額がぶつかった。
間近に迫るアルヴィンの瞳と視線を交える。

 「お前が完治するまでは不便だろうから、なんて言い訳しながら俺はここに居座ってんの」

最初から期限付きの生活だとは分かっていながらも、一日でも長くこの生活を続けたい、
一緒にいたいと願うのは何もジュードだけではないのだと、アルヴィンは言う。
確かにアルヴィンの怪我が完治したのは今日のことだが、先を急ぐのであればもっと早々に
診察を打ち切ってシャン・ドゥに戻るという選択肢とてなかったわけではないのだ、と。

 「それに、お前の声出るようになってるんじゃないか、って薄々気づいてたしな」
 「えっ、気づいてたの」

それは子供の隠し事を親がすべて見通しているそれのようで、一体どこで気づいたのかとジュードは目を丸くした。
曰く、考え込む時間が長くなっていたり、申し訳なさそうに笑うことが増えたから気づいたらしいが、
そんな些細なことで感づくあたりは、さすがアルヴィンということなのだろうかと、ジュードは苦笑する。

 「けど、何となくそんな気しながらもそれを追求しなかったわけ、だから隠してたことについては俺も同罪だ」

アルヴィンがジュードの目蓋へと口付け、笑いかけた。
ジュードの背中にまわされたアルヴィンの手がぽん、ぽんと背を撫でる。
その優しい手つきにジュードは目を細めながら、両腕を持ち上げてアルヴィンの背へとまわした。



冷めてしまったお湯を温め直し、紅茶を淹れてから昼食のサンドウィッチを食べ始めた。
彩りも鮮やかなサンドウィッチは見ても楽しく、手に取り口に運ぶことも楽しい。
かなりの量がバスケットに入っていたような気がしたものの、気づけばバスケットの中身が空になっていた。

 「ごちそうさま、美味しかったね」
 「おーよ、一番いいやつ選んだしな」

自慢げな笑みを浮かべながら、アルヴィンが持ち上げたティーカップを傾ける。
空になってソーサーに降ろされたそのカップへ、ジュードはティーポットを手に取り、おかわりを注いだ。
ジュード自身のカップも残りが少なくなっていたため、ついでにと注ぐ。

 「ま、ジュードくんの手作りのほうが俺は好みだけど」
 「またそういうことをさらっと言う・・・・・・」

ティーポットをテーブルに戻しながらジュードは照れ隠しにぽつりと呟く。
そんなジュードのことを、真向かいに座っているアルヴィンがにやにやとした笑みで見遣ってきた。
頬が俄かに火照るのを感じつつも、ジュードは手元のティーカップを持ち上げて誤魔化す。

 「・・・・・・なぁ、ジュード」
 「うん?」

ジュードの口がティーカップから離れたタイミングを見計らったかのように、
アルヴィンがひとつ息をついてから名前を呼んだ。
その呼びかけに僅かに首を傾げながらジュードは応じる。

 「明日、シャン・ドゥに行くことにするわ」

ジュードは、一瞬何を言っているのかを理解できなかった。
否、理解していながらも言わんとしていることを無意識に否定したかったのかもしれない。
確かにアルヴィンはもう完治したのだから、こうなるのも仕方ないはずだというのに、
いざそれを言われると返す言葉が見つからずに、ジュードは呆然としてしまった。

 「・・・・・・そう、だよね、もう怪我治ったんだし、シャン・ドゥに戻らないとだよね」

あからさまに気落ちしているのが声に表れてしまったものの、それを恥じる余裕もなかった。
何とか笑んで応じなければと思うものの、思うようには笑うことができていないのだろう、
ジュードを見遣るアルヴィンは少し困ったような笑みを浮かべている。

 「俺、別に戻るとは言ってないんだけどねぇ」
 「え?だってシャン・ドゥに行くって・・・・・・」

アルヴィンの言わんとしていることが分からず、ジュードは首を傾げた。
彼は行くと言ったのであって、戻るとは言っていない。
言葉遊びのようだが、その言葉が意味するところを考えていると、アルヴィンのほうからつかの間の沈黙を破った。

 「だから・・・・・・そう頻繁には無理だろうけど、ここに戻ってくるってことだよ」

テーブル越しに伸ばされたアルヴィンの手がぽすり、とジュードの頭に置かれる。
照れくさそうにアルヴィンが視線を逸らしている様子が窺えた。


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