--展覧会シーン:2005年日本国際博覧会開催記念展 世紀の祭典「万国博覧会の美術」開幕。
会場:大阪市立美術館[天王寺公園内]会期:2004年10月5日(火)〜11月28日(日)
(Page-02/取材:ストリート・アートナビ)
明治前期の万国博覧会に焦点を定め、輸出工芸と古美術という2つの面から紹介。
1951年、イギリスのロンドンで、「万国の産業の成果の大博覧会」という名のもとに世界最初の国際的な博覧会=万国博覧会が開催される。これを契機に西洋は各国が競い合う「博覧会の時代」に突入した。開国間もない日本は幕末の慶応3年(1867)パリ万国博覧会に江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ独自に参加、明治6年(1873)ウィーン万国博覧会に日本という国家として初めて参加し、日本も「博覧会の時代」の中に踏み込んでいくことになった。1851年のロンドン万国博覧会ではオランダによって既に日本の屏風が出品され、1862年ロンドン万国博覧会では初代駐日英国公使オールコックの蒐集による日本の工芸が多数出品され、多くの注目を集めていた。
こうした日本との出会いが西洋でジャポニスムという動きにつながっていく。1867年のパリ万国博覧会、1873年ウィーン万国博覧会、1876年フィラデルフィア万国博覧会、さらに1878年パリ万国博覧会と日本は積極的に万国博覧会に参加した。

殖産興業の方針の中で日本の工芸をさまざまな形で西洋に紹介し、西洋に新たな東との出会いをもたらす。その一方で西洋の先進の技術や、西洋での流行を万国博覧会という場を通して学ぶことで日本は西との出会いを重ねていく。ここで日本にとっての、「博覧会の時代」の中で、明治前期に焦点を定め、これを「東西が出会った」という視点からみようとするものである。
(展覧会図録より転載)

会場正面に大太鼓、万博の開門を告げるかのように・・・。
正面:「七宝諫鼓鶏形大太鼓」
明治6年(1873)頃 メトロポリタン美術館クロスビー・ブラウンコレクション、ニューヨーク
◎展示会場入口の正面に七宝の華麗な大太鼓、左右に朱色の柱が並び、大花瓶、鷲の紋と菊花紋の刺繍額等が展示され、明治政府が西洋に対し国威を示そうとした意気込みが伝わってくる。観客の誰もがいきなり19世紀の万博の世界にタイムスリップする。
より大型で、そしてより技巧的に・・・。フィラデルフィア万博ではまさしく山のように飾られた。(下の写真はその様子を再現した展示。)
左:「色絵金彩菊水文透入脚付花瓶」香蘭社 辻勝蔵 明治9年(1876)頃
右:
「染付花鳥図獅子鈕蓋付大飾壺」川本桝吉(初代)明治9年(1876)頃
上左:「色絵金彩荒磯貝尽紅葉桜図大皿」香蘭社 辻勝蔵 明治10年(1877)頃 東京国立博物館
上中央:
「白磁籠目梅に鶯貼付花瓶」盈進社 明治10年(1877)頃
上右:
「七宝群鶴飛翔図皿」林小伝治 明治18年(1885)
下右端:「色絵金彩象形香炉」東郷寿勝 明治前期(19世紀)東京国立博物館
上左:「八橋蒔絵富士山形鼈甲【べっこう】大皿」明治初期(19世紀)ヴィクトリア&アルバート美術館、ロンドン
上右:
「高浮彫蓮に白鷺翡翠図花瓶」宮川香山(初代)明治前期(19世紀)岐阜県現代陶芸美術館
下左:「八橋蒔絵螺鈿硯箱」尾形光琳 江戸(17〜18世紀)東京国立博物館
(※『国宝 八橋蒔絵硯箱』は10月5日〜24日迄の3週間の期間限定陳列です。)
▲鼈甲細工は巨大な亀の甲羅が使われた。国宝の「八橋蒔絵硯箱/尾形光琳」の作品の前では思わず立ち止まる。
左:「褐釉蟹貼付台付鉢」宮川香山(初代)明治14年(1881)東京国立博物館
右:
「瑠璃地金彩人物図壺」セーヴル国立磁器製造所 フランス・1876年 東京国立博物館
▲渡り蟹がリアルに表現されている。ヨーロッパから影響を受けた作品。
下左:装飾扇「闘う鶏」エミール・ガレ フランス・1878年 飛騨高山美術館、岐阜
右:
「七宝瓢箪図大燭台」クリストフル社 フランス・1874年

▲日本の物をモチーフ、図柄にしたガレやバカラ社、フランスの作品。
開会式 第1部/第1章 第1部/第2章 第2部/西洋美術

展覧会シーン取材:2004年10月4日、掲載:10月9日
取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ 中田耕志
◎本文、写真キャプションは:
「万国博覧会の美術」展覧会資料・図録を参考にしました。
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