大阪市立美術館(天王寺公園内)----
「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録記念 特別展「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝〜」
熊野速玉大社古神宝「鳥頸太刀」南北朝・明徳年間(1390〜94)(和歌山・熊野速玉大社)
熊野速玉大社古神宝 上:金銅「玉佩」/下:国宝 彩絵「檜扇」南北朝・明徳年間(1390〜94)(和歌山・熊野速玉大社)
入口近くに那智瀧図(国宝)が他のお軸と一緒にさりげなく掛っている(大阪市立美術館では8月20日迄の公開)。那智の滝(熊野那智大社)は千手観音を本地とし熊野本宮大社は阿弥陀仏、熊野速玉大社は薬師如来を本地とする。

この第5章の部屋は清澄な熊野の地と神々しさの中にも華やかさのある熊野三山の雰囲気が漂っている。奥にお社に模したものに熊野速玉大社の御神像3躯が初めておそろいで御鎮座されている。
熊野速玉大社の古神宝の唐衣【からぎぬ】や檜扇、挿頭華【かざし・造花】に雅びな女性を想い、太刀や玉佩【ぎょくはい】の光の中に古人の権力と匠の技の高さに思いを馳せる。
第5章:「熊野信仰と三山の遺産」
神々に奉納された古神宝、神仏習合による遺宝、経塚遺品、古文書など、熊野信仰ゆかりの宗教美術品を紹介。
和歌山県南部に位置する熊野地は、最果ての地として黄泉【よみ】の国への入口とも認識されていました。大峯の奥駈道を越えると、そこには大平洋の大海原が広がり、那智の滝が流れ落ち、都の人々にとっては憧れの地でありました。
古来より熊野に鎮座する熊野本宮大社、熊野速玉【はやたま】大社、熊野那智大社は、主祭神こそ違え、三大社共通の祭神(熊野十二所権現)をもつ独自の宗教的連合を形成し、これら三社、すなわち「熊野三山」に参詣することを「熊野詣【くまのもうで】」と呼び、平安末期から鎌倉期にかけてピークを迎えました。
熊野十二所権現は、平安時代後期にはそれぞれの祭神に対応する本地仏【ほんぢぶつ】が定められ、神像や本地仏が木彫像や懸仏などに、そして熊野曼陀羅に体系的に表現されました。
また熊野速玉大社の社殿造替に際し、室町幕府や守護大名、皇室や公家らが十二所権現に奉納した古神宝の数々は、当時の工芸技法の粋を集めたものとして特筆されます。【祈りの道展覧会図録より転載】
上左:重文「夫須美神(ふすみのかみ)坐像」中央:重文「熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ)坐像」右:重文「家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)坐像」いずれも木造 平安時代前期(和歌山・熊野速玉大社)

上両端:木造「二天立像」中央:木造「千手観音立像」いずれも平安時代後期(和歌山・補陀洛山寺)

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木心乾漆「千手観音立像」奈良時代(和歌山・道成寺)
自然遺産と文化遺産の融合した紀伊山地の魅力を6つのテーマに分けて紹介。
第1章:「吉野・熊野・高野をめぐる人々」
第2章:「参詣と修行の道〜熊野古道と大峯奥駈(おくがけ)道〜」
第3章:「高野山町石道(ちょういしみち)と高野山の名宝」
第4章:「吉野・大峯と修験道の遺宝」
第5章:「熊野信仰と三山の遺産」
第6章:「霊場と道中の名宝」
第6章:「霊場と道中の名宝」
それぞれの霊場を結ぶ街道沿いに点在する寺社の名品や、
風光明媚な吉野・熊野・伊勢路を描いた作品を展示。
紀伊山地のそれぞれの霊場では、その周辺に多くの寺社が建立され、そこには貴重な尊像が祀られて、多彩な美術品が伝来しています。大峯山への入口にあたる吉野や洞川【どろがわ】には、大峯山寺の護寺院【ごじいん】が建立され、この地域ならではの神仏が祀られました。また熊野街道の道筋には、遥拝所としての多数の王子社(九十九王子【つくもおうじ】)や、安珍・清姫伝説で知られる道成寺【どうじょうじ】、そして西国第二番札所の紀三井寺など、数多くの古寺社が点在しています。また西国三十三所観音巡礼の巡礼道と重なる伊勢路は、伊勢参宮と西国巡礼が盛んになった近世に、大変な賑わいをみせました。
こうした寺社に祀られた尊像は、地元住民の篤い信仰心によって守り伝えられてきましたが、加えて三霊場への参詣者たちの信仰の対象となり、その道すがら必ずや参詣されたと想像されます。【祈りの道展覧会図録より転載】

上左屏風:「吉野花見図」桃山時代(京都・細見美術館)
/上右屏風:「吉野山図」江戸時代

上:木造「不動明王二童子立像」平安時代後期(奈良・来迎院)
下:中央3体:木造「聖徳太子二王子立像」鎌倉・文永11年(1274)/
 後ろ両端:木造「阿難・迦葉立像」鎌倉時代(いずれも奈良・金峯山寺)

「能面」(奈良/天河大弁財天社・吉水神社)
館長挨拶と学芸員の苦労。
午前11時から記者特別内覧会を前に館長挨拶があり、「一年間の調査等で時間がかかったが、これだけの仏像、神像、宝物が紀伊山地から降りてきた。熊野速玉大社の御神像の3体、金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王権現立像等の国宝や重文が一堂に降りてきて史上最大規模の展覧会が実現した。」と最初に強調された。道としてスペインの道とこの参詣道の2点が世界遺産に登録されている。「自然は我々の身体に入っている。仏や神社や参詣道が身体に入っている。だから皆が歩いて自然に歩いて那智の滝に手を合わす。」特に「開場までにそれなりの苦難の道があった。学芸員の苦労もあったが報われた。」まるで修験道や紀伊山地の険しい道を連想させるこの言葉が、今回の展覧会の規模と内容の凄さを物語っている。この展覧会を実現するために学芸員の方々は物品を借りるための資料作り、その交渉、配送の手配のため、この猛暑の中を大阪から遠隔地、紀伊山地に点在する寺社に何度も通われた。スケールが大きい程、感動も大きく見る人の心にインパクトと思い出を作るが、そのための準備と費用(蔵王権現立像の移動費用だけでも1500万円がかかる)と行動が大変だったことを初めて教えられた。内覧会の説明は石川学芸員から第一室から第6室まで各々のテーマに沿った展示品の解説をして頂き、実物を見ながら今迄以上に理解を深めることになった。しかし学芸員は物識りだけでなく解説もお上手で感心させられる。
展覧会シーン取材:2004年8月9日、掲載:8月13日(更新)
取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ 中田耕志
本文、写真キャプションは「祈りの道」展覧会資料・図録を参考にしました。
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